
横文字にすると何故にこう禍々しい空気感が薄れるのか、当事者のためでもあるのだろうか。ふとそんなことを考える。
自分の祖母は統合失調症でした。他にもたくさんの二次障害を併発していただろうと今も感じている。生まれていない頃の出来事だったのものの恐らく兆候のようなものは出ていただろうと察しますが、当時の宗教関係者や家族はそれを守護霊の声と言い、またそれを信じ治療をさせることは一切ありませんでした。結果どうなったのか。人を一人、殺めてしまいました。綿密に言うと変死で死因は直接的なものではありませんでした。祖母は心神喪失により執行猶予、何よりも理解できなかったのはそれでも家族が治療させなかったことです。
その病状の悪化は片手にも満たない自分に矛先が向きました。二人きりになると「声が聞こえる」と毎日のように繰り返し壁に頭をぶつけたり、死ね、悪魔、ごみ、と罵詈雑言を浴びせてくるのです。当然ながら誰にも見えないところでそれは繰り返され、倦怠感が小学校に入ってからも続きました。けれどもそれは心的なものではなく自分の食事にだけ薬品が入れられていたのです。様子がおかしいと何も知らない親に内科に連れて行かれ診察の結果、不整脈も出ておりしばらくの間は塩分を摂ってはいけないと突然の食事制限が始まりました。その後です、祖母から食事についてのことを知らされたのです。彼女はこちらを見てにやにやと笑っていました。
ごみを捨てるとか片づけることは一切できず、料理も家事もできない、言葉で自分の心情も伝えられない、被害妄想と極端な家族への支配欲、これらは何なのだろうと答も出ず、それでも親も親戚も「その声」に従っていました。仕事を辞めろと言われれば辞め、あの人間と関係を切れと言われれば切り、自分にはそれが到底理解できず、知ったのは二十代の半ばでした。
外壁が殴り書きの紙で覆われているような家、路上で突然奇声を発する人、新聞社などに延々と投書する人、それが統合失調症の症状であると友人に教えてもらい、インターネットで調べて納得したのです。あれは精神疾患だったのだと。
祖母は人を殺めた罪悪感から宗教にのめり込み、けれどもそれは殺めたことに対してのものではなく自分が地獄に落ちたくない、助かりたいという恐怖心からでした。それを家族に強要し、従わない者は排除する。今でも思うのです。病院に誰かが連れて行ってくれれば違った道があったのかもしれない、と。けれども最後まで死に怯えて息を引き取りました。死後、脳に傷があることも医師から教えてもらいました。けれどもいつついたものかまでは不明なままです。
食事の後のあの喉が焼ける感覚と倦怠感、あの恐怖心から水を異常に飲むようになり自分の水依存症は今でも続いています。それでも治療で随分とコントロールできるようにはなってきました。
親も親戚も発達障害の傾向はあり、親も祖母から愛情を受けられず自分はつまり親の親をやっていたのだと気づいた頃にはもう成人して随分と月日が流れた頃でした。今でももっと早くに病識があればと思うこともしばしばです。
そして行政で見かけるヤングケアラーのパンフレット。良い面と悪い面が書かれてあり、良い面の内容はこうでした。
良い面
・料理や掃除などの実践的な生活スキルがつく
→これは意思関係なく結果としてそうなるのであり、教育で教えることができる
・さまざまな背景を持つ他者への配慮・思いやりが育つ
→自分の本心を言えず合わせているだけの場合もあり、苦労が人を育てるとは言い切れない
・障がいや病気への知識・理解を得る
→都合よく捉えすぎです。それが個人単位でできている社会であれば行政サポートは整っているでしょう
・ケアをしている家族との絆を実感できる
→もっと現場を知ってから書いて下さいとしか言いようがありません
まず未成年、若年であればあるほど本心を言葉にしないという前提でやり直した方がいい、と感じました。まず世話をしなくてはいけない人に完全に成人だけでサポートを徹底する。子供に負荷がかからぬように、これに尽きると思っています。