
支援措置を受けられるようになったのは事件以降で、宗教も含まれていた自分は心理的なものばかりで、幼少期の証拠もなく知っている人といえば会いたくない人つまり加害者親族の近くにいるので協力を得ることはできず、それでも市役所が開いて閉まるまでの時間を要しました。警察か何らかの機関で判子を貰わないといけないのですがDVや性暴力でもなく女性に関する被害の機関は多く、宗教や思想を含む場合の前例が殆どないので「この理由」で通す必要がありました。思想による虐待が原因で支援措置をどうしても通したかった。前例があれば後に続く人も通りやすくなる、通った事例があれば自分のように右往左往して戸惑う人も減るだろうという考えからでした。
それまでも何度も足を運びました。でも窓口の奥で笑われるかその理由では通すことは難しいと門前払いで同じような当事者もいたことでしょう。最後に担当になって下さった社会福祉士の方がとても配慮のある人でそれまでの不信感も薄まりはしましたが今でも行政に対しての不信感はあります。転居して担当は変わりましたが、やはり人によって違うので元に戻ったような感覚もあります。転居による担当の引き継ぎで自分がどうしても生活に支障を来すことについては伝えてもらっていたようでサポートはして貰えていますが、現実には今ある公的機関では「何もできない」というのが実情でもあります。
これが年一回の更新で役所に行かなくてはならず、その通知が届きました。毎年判子をどこで貰うかで機関が変わったりする為、同じ被害を一から話さなければならず何度目かでもうこれが苦しいと伝えてからはスムーズになりました。
自分は支援措置を受けてそれまでよりも自由になれると思っていました。けれども「人間関係に気をつけて下さい」と言われるのです。初めて受けた前後は安全の為にまず全ての周囲の人から離れました。説明しても「家族だから」とか「話し合えば分かる」とどうしても通じない。家族ではなく加害者である場合、この言葉はとても恐ろしいものに変わります。
「加害者でも話し合えば分かる」
こう言われて諭されているようなものです。逃げるように隠れるように生きるという点では若干ましになった程度で今もSNSは見るだけで自分とは分からないようにしています。加害者ファーストの日本なので被害者への対応はここが天井といったところでしょうか。欧米では加害者を全員で見張ろうという空気ですが、日本では逃げろ隠れろとしか言われないのです。あたらしく人間関係を構築することも気をつけて下さいとしか言われない為、必然的に自分を取り巻く世界も小さくなってしまうのです。
もう一点、住民票を窓口で取得するのに10分あれば取れていたものが数十分は掛かります。そしてマイナカードもマイナポータルも使えません。医療従事者に加害者がいることを想定してマイナ保険証もエラーが出て機能しません。そしてマイナポータルでは自分の受信歴などの医療情報が見れません。個人の情報は個人のものであるはずが、見れないのです。
それと相談記録は役所に保管できますが、例えば法律事務所で補足資料として開示請求をした場合は一部が黒塗りの文書として出てくることがあります。相談内容はあくまでも客観的なものとして扱われる為、資料としてはあってもなくてもよいとは思います。
それでも戸籍や住民票などの情報が見られなくなったことは物理的にも心的にも負担は減りました。二重に住居を構えて一軒はダミーと無駄な出費もなくなったことは良かったです。そういうことをしなくてもいいのが一番ですけどね。ただ一つ言えることは安全の土台を手に入れたのは事実です。